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  • 2008.11.03 Monday
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またお久しぶりです

また長いこと休んでしまいました。
特に除雪車との件では、みなさんにご心配をおかけしたままで申し訳ありません。

なかなか除雪車の件が解決しないうちに、母の具合が悪くなり、解決してまもなく、他界しました。

更新の時間など十分にあったのですが、申し訳ないと思いながら、なかなかこちらに戻る気になれませんでした。ごめんなさい。

これから余裕があるときには前のようにぼちぼちと更新していきますので、たまにのぞいていただければ幸いです。

除雪車にぶつけられました

今年の札幌の雪解けは早いようですが、それまでは降ったり解けたりを繰り返すそうです。今日は雪は降っていませんが、このごろはたびたび大雪が降り、道には雪山がうずたかく積みあがっています。

うちの町内会でも、除雪業者が先週、除排雪を行いました。(その後の大雪でまた山ができてしまいましたが)

その除雪車と、夫の車がぶつかりました。

除雪をしている車から3軒ほど離れて停車していたところ、急に除雪車がバックしてきて、フロント大破です。幸い、けがはなかったのですが(翌日首が痛いと言っていました)、相手は、夫がつっこんできたと主張しています。
「おれは、ちゃんと後ろを確認していた」
と、かなり強気。

目撃をした人も、はじめは夫が停車していたと警察に言っていたのですが、最近あやふやに……。

物損ということで届けたのが災いしたようです。人身事故なら、ちゃんと資料がそろったのですけどね。

ここ2、3日、夫は他の目撃者を探したり、警察に電話をかけたりと大変です。

相手は、札幌市が指定している除雪業者の1人。でも、私の父もあやうくひかれそうになったと、怒っていて、それでいいのか、と、思うぱいぽです。

光の旅 かげの旅

この本は、安野光雅さんの「さよならさんかく」についてブログにかいたとき、「くどー★La★ちぇこさんの絵本日記 」のくどー★La★ちぇこさんに教えていただいた1冊です。

今回、4年生に読んでみました。

夜明けに家を出て、街へ向かい、街で1日をすごし、日がくれてから家にもどる、ただそれだけのストーリーです。
内容的には、たんたんと時が過ぎていき、人をひきつけるものはあまりないのですが、とにかく絵がすばらしい。

白と黒だけで表現された世界。色がないぶん、圧倒的な存在感を感じさせられます。
そして、おもしろいしかけが……。
最後まで読んでいき、これで終わりとなったとき、本をくるっとさかさまにします。
そうすると、これまで読んでいたページを上下さかさまにした状態で、もう一度読んでいくことができるのです。
普通にみていくと、それは昼の世界…「光の旅」
ひっくり返してみていくと、それは夜の世界…「かげの旅」
文字はひっくりかえしたものがそれぞれ下のほうに印刷されているのですが、絵は1枚を上下さかさまに見ることになります。
同じ絵を上から見ても下から見ても、それぞれ、ちゃんと絵としてなりたって違う場面を表しているのです。

子どもたちに読んだときは、さかさまになった後、ページがめくられるごとに、
「オー」
というおどろきの声があがりました。
そして、読み終わると、
「すごい。おもしろいというより、すごい。」
口々に言っていました。

ときには、こんなふうに、絵そのものを純粋に楽しむ絵本もいいなあと思います。
(ただ年齢の低い子には、難しいかもしれません)

hikarinotabi光の旅 かげの旅
絵本の部屋 しかけ絵本の本棚
アン・ジョナス/〔著〕 内海まお/訳
出版社名 評論社
出版年月 1984年4月
ISBNコード 978-4-566-00208-1
(4-566-00208-X)
税込価格 1,365円
頁数・縦サイズ 1冊 25cm


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おにたのぼうし

低学年から読みました。昔、3年生の教科書にのっているのを見たことがあります。

節分の夜。
気のいい、小さなくろおにの子「おにた」は、住処に豆まきをされ、出ていくことになりました。

「人間っておかしいなあ。おには悪いって決めているんだから。おににも、いろいろあるのにな。」

つのかくしの古いむぎわらぼうしをかぶって雪のまちを歩きまわり、ようやく豆やヒイラギのない家を見つけました。

そこは女の子と病気のお母さんが住んでいる貧しい家でした。食べるものひとつない台所。でも、女の子が一生懸命お母さんを心配させないように、赤ご飯とうぐいす豆を食べたと話しているのを見て、おにたは夢中で寒い外へ飛び出しました。

もどってきたおにたは、女の子に、女の子が食べたとおかあさんに言ったままのごちそうをさしだしたのです。

ぱっと顔が赤くなりにこっと笑った女の子。
でも、次の瞬間、女の子は言ったのです。
「わたしも、まめまきしたいなあ。
 おにがくれば、かあさんの病気はもっと悪くなるわ。」
それを聞いたおにたは……。

作者は「車のいろは空のいろ」のあまんきみこさん。出版年月日から見ると、1969年にこれを書き、その6年後に「ちびっこちびおに」を書いたようです。

「ちびっこちびおに」も、おにたと同じように気のいいおにの子が出てきます。そして、おにたのように無我夢中で子どもを助けましたが、その結果は、おにたとは違うものになりました。

おにたが、つのかくしのぼうしをぬぐことなく、
「おにだって、いろいろあるのに。おにだって……。」
と言って、こおりがとけたようにいなくなるのに対して、
「ちびっこちびおに」は、ぼうしをぬいで、つのを見せてしまい、くったくなく受け入れてくれた子ども達と仲良く遊ぶのです

あまんきみこさんは、「おにた」で書いた、ついにわかりあえなかったままの人間とおにの関係を「ちびおに」ですくってくれたのかな、などと、思ったりします。

おにたがいなくなったあとに、むぎわらぼうしがぽつんと……。そのなかには、あたたかい黒い豆が……。

この話を大勢に読むと、この豆が、おにたか、そうでないかで、解釈がわかれます。

私はやっぱりおにたは豆になったと思うのですが、おにたは女の子に豆をおいて人間の世界に分かれをつげたのだという子もいます。豆になるのは救われなさすぎるといったことから、豆になったのではないと思いたいという人もいました。

結局、どちらもいいのかな…と、今は考えています。

節分というと、真っ先に思い浮かぶ話です。

  (「スランになりたいな」での記事に加筆)


おにたのぼうし
あまんきみこ/ぶん いわさきちひろ/え
出版社名 ポプラ社
出版年月 1969年
ISBNコード 4-591-00529-1
税込価格 1,050円
頁数・縦サイズ 1冊 25cm

鬼ぞろぞろ

中世説話文の「今昔物語集」の中の鬼のつばで姿をけされてしまった男の話をもとに、舟崎克彦が文を書き、赤羽末吉さんが絵をかいた本です。

言葉の雰囲気も含めて楽しもうとするなら中学年ぐらいからが適当かと感じます。

ただ、今は、学校で怪談話をしたりすると、とたんにおうちの方から苦情が入ったりするので、与え方にはちょっと気をつけて…というか、今のところ、自分の子にしか読んでいません(^^ゞ

でも、いい本です。
もともと赤羽末吉さん、大好きなんです。「スーホの白い馬」をはじめ、絵のいろいろな描きかたを追求していた方だったなあと感じています。
この絵本の中世のあやしい感じも赤羽さんの絵によるものが大きいなあ。
舟崎克彦さんの文も今昔物語の簡潔さや緊張感をそこねず巧みだなあと感じます。
いいなあ。

舞台は中世の都。
おおみそかに鬼の行列に会い生きたここちもない男。
「こんな名もないやつを、からかってもおもしろくない。」
と、鬼どもは、つばをはきかけ歩み去っていきます。
ところが、それによって男は姿が人間から見えなくなってしまうのです。

身分が低いと鬼にも相手にしてもらえないんですね。なんというか……厳しいものです。

男は元日の朝から観音様に姿をもとにもどしてもらうために観音堂にこもります。
ところが、腹がへり、おまいり客の弁当を盗み食いをすることに。
そうして、ついには、いろいろな盗みを働くことになるのです。

はじめは、ほんのちょっとした悪さがどんどんエスカレートしていく様子……昔も現在もそういうことってあるのだなあと、感じます。

夜は盗みをして、昼はいっしんにお祈りをする男。
人間の弱さがあらわれています。

男は、盗んだものを溜め込んで、
「これで、観音様がおれのすがたをもとどおりにしてくだされば、いうことなしじゃ」
なんて、あごをさすりながら悦にいっているのです。

人間って身勝手なものですね。こんな男を観音様が救ってなんてくれるはずがない、と、思います。

ところが、ある日、観音様が現れておつげをするのです。
観音堂を出てはじめに出会った者の言うことを聞くがよい、と。

男が出会った者は男をつれまわし、さらにおそろしいことを男にさせようとします。

はじめ気がつかなかったのですが、娘が、男をつれまわす者が実は鬼ではないかと、絵を見て指摘しました。
なるほど、確かにそういわれて見ると、ページをめくるうちに、だんだん角のようなものが生えてきているのです。
これは、赤羽さんの解釈でしょうか?今度今昔物語を読んでみたいと思います。

ところで、最後の最後に男は自分自身をふりかえり、踏みとどまります。

人間の弱さとそして強さの両方を簡潔に表現している絵本です。

             (「スランになりたいな」からのほぼ転載です)



鬼ぞろぞろ
赤羽末吉の本
舟崎克彦/文 赤羽末吉/絵
出版社名 偕成社
出版年月 1979年
ISBNコード 978-4-03-963040-7
(4-03-963040-8)
税込価格 1,890円
頁数・縦サイズ 1冊 27cm

長いこと音信不通でごめんなさい

長いことご無沙汰してしまいました。コメントもたくさんいただいていて申し訳ありません。
あのあと、大腸憩室炎になり、1か月ほどごたごたしてしまいました。その後もなかなか意欲がわかず、ふと気づくとこんなにご無沙汰していました。
コメントをいただいた方たちには、後日ぽつぽつとうかがいたいと思います。
これからは、「気づくと更新していた」というようなブログになると思いますが、もし気が向いたら目を通していただけるとうれしいです。

連休は登別

やっと時間ができたので、これから主人の実家に行ってきます。
場所は登別。
室蘭に近いので、がんばっている室蘭水族館に行ってみようかと思っています。
温泉にも行けるかな。行けたら、温泉情報、アップします♪
では、また(^^)

彼の手は語りつぐ

前の記事でいろいろ書きましたが、気をとりなおして「彼の手は語りつぐ」を。
「本・物・嗜・好」のbincaさんのところで紹介されていた本です。
どうしても読みたくてすぐ買ったのですが、なかなかすぐにはブログに書けませんでした。

作者は「ありがとう、フォルカーせんせい」(このブログの記事はこちら)のパトリシア・ポラッコ。彼女の絵本は家に伝わってきたことや自分が経験したことをもとにしているのですが、事実の重みが伝わってきていつも心を動かされます。

この「彼の手は語りつぐ」も、ポラッコさんの家で5代にわたって語りつがれてきた物語です。話の舞台は南北戦争(1861年-1865年)の終わりごろなので、およそ140年間伝えられてきた話ということになります。

覚悟を持って戦争に出かける黒人の少年と、にこにこして(そう見えます)出かける白人の少年。
黒人の少年はピンクス・エイリー(ピンク)、白人の少年はシェルダン・カーティス(セイ)。

戦場でけがをし、部隊におきざりにされたシェルダンを助けたのは、やはり自分の部隊(黒人部隊)とはぐれたピンクスでした。

2人は南部のピンクスのお母さんの家へたどりつきます。

ピンクスは、奴隷の身であったのにもかかわらず文字を読み書きすることができ、この戦争を自分たちの戦争だと理解し、シェルダンのけがが治ったらもう一度戦場にもどらなければと決意しています。

   「奴隷に生まれるってことは、苦しみがどっさりってことなんだ。
    でも、エイリーのだんなに読み書きを教わってから、
    おれはわかったんだ。
    たとえ奴隷でも、自分のほんとうの主人は、
    自分以外にはいないってことを」

反対に、シェルダンは、気が弱く、幼さすら感じます。ただ一つの誇りは、自分の手でエイブラハム・リンカーンと握手をしたということ。
ピンクスもピンクスのお母さん(モー・モー・ベイ)も、そんなシェルダンをあたたかく包んでくれます。

シェルダンとピンクス、モー・モー・ベイの間の会話で話は進んでいくのですが、戦場にもどることになり泣くシェルダンとモー・モー・ベイのやりとりは、とりわけ、素朴な愛とはこういうものだと強く感じさせてくれます。

  「ぼくは、ピンクスみたいに勇敢じゃないんだ。ぼくはこしぬけだよ」
  「なあぼうや。勇敢だってことは、
   こわさを感じないっていう意味じゃないんだよ、
   わかるかい?」
  (中略)
  「さあ、ぼうや、だきしめてあげよう。
   ぼうやはいつかきっと、おじいさんになるよ。(略)」

でも、2人が戦場にもどろうとした朝、モー・モー・ベイは南軍の兵士に射殺されます。
そして、その後、戦場にもどる途中で2人も南軍の兵士にとらえられるのです。

別々に引き裂かれそうになったとき、

   ピンクは、ぼくに手をのばしていった。
  「おれの手を握ってくれ。
   リンカーンさんと握手したその手で、セイ、もう一度だけ」

引き離されるまで握り合った手。

そして、ピンクスは死に、シェルダンは生き残ります。ピンクスが収容所に到着した数時間後に殺されたということは、黒人だったからということでしょう。

ピンクス・エイリーには、彼を語りついでくれる子供はいません。でも、シェルダンは、娘に、娘はその娘にと、この話を語りついできました。
そうして、パトリシア・ポラッコがこの本を書きました。ピンクス・エイリーを記憶にとどめるために。

子供や孫の写真の絵とともに、作者からのメッセージが書かれた最後のページを読むといつも涙がこみあげてきます。

この話を読むと、戦争でだれひとり語るものがいなくなってしまった大勢の人たちのことを考えてしまいます。
私たちにも語っていかなければならない多くのことがあると感じます。

表紙の絵は、2人がにぎりあった手。
なんだか違和感があって、よく見たら、2人以外の手がシェルダンの手をつかんでいるのです。絵本のなかにもその場面はかかれていて、それを見ると、その手は2人を引き離そうとしている人間の手であることがわかります。
思いを伝えようとしている手と、それを引き離そうとする手。
この絵を表紙にした人の思いが感じられるのは、深読みかな……。

是非、子どもたちに読みたいと思っていましたが、背景の難しさなどから小学生には無理かと考えていました。
ところが、光村の6年生の国語の教科書で紹介されていたことを娘が教えてくれました。
ちよっとびっくりしました(^^ゞ

ちなみに、原題は、
Pink and Say
(訳者がつけた題名がすてきです。最近映画などで原題をそのままにつける場合が多いですが、こういった例を見ると、やっぱり、美しい日本語の題名をつけてほしいものです)

彼の手は語りつぐ
パトリシア・ポラッコ/文と絵 千葉茂樹/訳
出版社名 あすなろ書房
出版年月 2001年5月
ISBNコード 978-4-7515-1984-4
(4-7515-1984-0)
税込価格 1,680円
頁数・縦サイズ 47P 29cm


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書き手は同一人物?それとも…?びっくりしました。

「彼の手は語りつぐ」というパトリシア・ポラッコさんの本をブログに書こうと思い、書き始めました。

そういえば、彼女は「チキン・サンデー」という本も書いていると、だれかのブログで読んだ記憶があり(これもいい本のようで、今度ぜひ読んでみたいと思っているんです)どんな本だったかなあと、「チキン・サンデー」で検索してみました。

適当に1つのブログを読んでみて、ふむふむ。
そのあと、「絵本ナビ」でも見つけたので、ふむふむ……え、何か、違和感が……。
このフレーズ、記憶にある…。
もしかして……。
さっき読んだブログへもう一度とび、確認。
びっくり、一言一句違わない文章だったのです。

う〜ん、気になります。もしかしたら、この二人の書き手は同一人物?
それとも……。

はじめに読んだブログには、コメント欄がついていないので、疑問に思ったことを書けません。
絵本ナビには、
記事についてコメントをする欄が見当たりません。

気になって、一時「彼の手は…」を中断。
このブログの記事になってしまいました。

(追記)
他のいろいろな本の記事を2つのサイトで見比べたところ、同じ本についての記事は同じ文章だったので、どうやら同じ人物のようです(^^ゞ
でも、絵本ナビには、「当サイトのすべての画像、文章、その他のコンテンツについて、許可なく転載を禁じます。」と、書かれているので、同一人物でも、二つのサイトで同じ記事をのせるのは?(がんばって書いた文章、ひとつのところだけに載せて終わりというのはもったいないという気持ちはわかりますが)

ことりをすきになった山

いろいろな方のブログを訪問すると、日本列島って、本当に縦に長いんだなあと感じます。こちらでまだ雪が降っている時期に、桜が咲いているなどという話を聞くと、なんだか不思議な気持ちになります。テレビでもそういった報道は見るのですが、ブログのいろいろな方の記事の方が臨場感が伝わってきます。

ところで、札幌も最近、エゾムラサキツツジが咲き始めました。うちの庭は日陰になる部分が多いのですが、それでも、クロッカスが咲いています。

長い冬。白一色で何もなかった世界にときはなたれたように一気に花が咲きほこるのが札幌(北国?)の春です。桜も梅もツツジもレンギョウも……もうすぐ、一年で一番花の美しい季節が札幌にもやってきます。
生き物がこの世界にあふれている喜びを感じます。

ところで、そんな喜びを一度も感じたことがなかったのが、
「ことりをすきになった山」です。

荒れ果てた野原にそびえ、冷たさしかしらなかった岩だらけの山。

そこにある日やってきたのは、一羽の小鳥のジョイでした。
その体のやわらかさにひかれた山は、自分のところにずっといてほしいと小鳥に頼みます。
けれども食べ物も水もない山にはいられない小鳥は、山に長くはいられません。
毎年命をひきつぎながら、この山に来るということを約束するだけでした。

それから毎年、春が来るたびにやってくる小鳥。
小鳥は代が代わっても、いつもジョイという名前です。
「なんとかここにいてもらえないかな」
と頼む山。
「無理だわ。でも来年の春も必ず参ります」
と答えるジョイ。

百回目のそうしたやりとりのあと、
百回目の願いをことわられ、空に消えていく小鳥を見送る山。
山は、そのつらさに耐えかねて、心臓が爆発し、涙を一気にふき出したのでした。

そんな山に、翌年も小鳥がやって来ます。
でも、その年は、いつもと違ってひとつぶの種を加えていました。そして……。

作者の人類学者のマクラーレンさんは
   「永い年月がもたらす変化のすごさ、
    ひとつの命にたくされた何かが
    時間をこえてうけつがれていくすばらしさに魅せられて、
    一人類学者としての夢を描いてみました」
と書いています。

永い永い時の流れを舞台にした愛と希望にみちあふれたなんとも美しい話。
読み終わって満足感を持って本を閉じることができる一冊です。

エリック・カールのコラージュとこの内容が奏でるハーモニーのようなものが感じられて、個人的には彼の本のなかでは「はらぺこあおむし」とならんで最も好きな絵本です。

ルビがふってあり難しい言葉は使われていませんが、内容的には小学校中学年ぐらいからが適当だと思います。文章もかなりボリュームがあります。

ことりをすきになった山
エリック・カールの絵本
エリック=カール/絵 アリス=マクレーラン/文 ゆあさふみえ/訳
出版社名 偕成社
出版年月 1987年10月
ISBNコード 4-03-327340-9
頁数・縦サイズ 1冊 30cm


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くっくです。この名前、鳥ということでつけたほかはなんの意味もありませんが、気にいってます。カウンターの数字は「スランになりたいな」からのものです。数字が消えてしまうのはちょっと悲しかったので……。「スランの本棚」のカウンターはこれから7700をひいたものです(^^ゞ

キアです。ヴォクトの「スラン」に出てくるなかなか重要な登場人物キア・グレイの名前から拝借しました。ペットの名前に使われたと知ったら怒られそうです。
スランについて
ブログ「スランの本棚」のスランはヴォクトの古典的名作SF「スラン」からとりました。 スランというのは、新人類で、人の心を読むことができたり、知覚力や知力が現(?)人類よりはるかにうわまわっています。迫害され、表舞台からは姿をけしています。主人公のジョン・トマス・クロスはまだ9歳のスランの少年。人類や無触毛スラン(スランには触毛があるんです)に対して憎悪を持ちながらも、成長し能力が成熟していくなかで共存の道を模索していきます。 ね、なかなかいい感じでしょう。 前の「スランになりたいな」を始めるときに、たまたま「スラン」を読み返していたため勢いでつけました。勢いでつけたわりには気にいっています。 でも、この「スラン」絶版になっています。さびしいなあ。 ちなみに、昔アニメにもなった竹宮恵子の「地球へ」の主人公、ジョミーは、この「スラン」の主人公ジョン・トマス・クロス にちなんでいるそうです
                
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